Life

140kmで車を運転しながら考えた。ひとはなぜ生きるのか。なにのために生きるのか。ここには2つ問題がある。「なに」という対象と「ために」という(自己)犠牲だ。まず対象の問題。生きることの対象はなにか。金、長寿、子孫繁栄、承認、いったいなんだろう。生きることそのものが対象かも知れない。しかし答えはない。この世で起きていることと辻褄が合わない。仮に種の保存だとすれば、昨今の未婚率の上昇を説明できない。生きることの対象とはなんだろうか。

つぎに「ために」について。ここには(自己)犠牲の意味が孕まれている。犠牲にするほど価値の高い生とは一体なにか。本当に犠牲にする価値があるのか。これまた一筋縄ではいかない問題だ。生を受け、食べ、排泄し、生を終える。人間はやがて土に還る。なぜ生きるのか。入口と出口が一緒ではないか。ジェットコースターに乗って生を謳歌したと思いきや、出口から誰しも出ていかねばならぬ。なぜ生きるのか。くめどもくめども尽きぬ疑問だ。

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