弱くて、強い生き方~うまく負ける思想『老子』~読む”うつ抜け”

ずっと登りの登山を遭難とよぶ(作者不詳)

もうこの歳になると、どうやってうまく負けるか考えます。受け身をとるというか。いままで振り返るとガムシャラに無理してきたなあと感じています。そんなとき老子の言葉と出会いました。老子について何か語れば、それは説教めいていて、ゆえに自動的に老子を理解していないということになる。しかし、思ったところを少し書きたい。老子は感じるものだ。なるほどと我が身に置換えて、こういうことかなと静かに内省する言葉がちりばめられている。例えば、水について。水は低いところ低いところと流れてやがて大海となる。低いところは忌み嫌われる。だが水は一切不平不満をいわない。ただそこにあり、流れている。そしてやがて母なる海となる。かといって、どうだすごいだろう、俺はこんなことができるのだぞ、などと誇ったりはしない。ただそこにあり、流れる。水のように生きてみたいものだ、あるいは雲のように。無為ということについて考える。直訳すると、なさないこと、なのだがこれだと何がなんだか訳が分からない。そこで意訳すると、不自然なことをしないということだと解釈した。無理やり我欲を通さないというかな。無為になれたらどんなにか楽だろう。ひところネットでは、他人は変えられないけれど、自分は変えられる、ゆえに自分を変えろ、みたいなことが言われていた。でもそれでさえ、前提が間違っているかも知れないのだ。無為。不自然なことをしないこと。自分のこと、自分の環境を違ったレンズでみること。うまく負けよう。これは決して2番じゃダメなんですかっていう戯言とは違う。弱くて、強い生き方だ。いずれ報われると期待することとも違う。無為。めいめいがそれぞれの解釈を持つだろう。しかし老子の言葉がしっくりくる年齢というものはあると思う。どんな小さな図書館にも1冊はあると思うので、触れてみてください。

 

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